私が発達障害ADHDだと気づき、診断を受けるまでの軌跡を書き綴っていきます。
もし共感できるところがあったら幸いです。
私が歩んできた道を、少しお伝えします。最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
幼少期から傾向あり
私は保育園時代から、いわゆる「変わり者」という扱いでした。
その中でも小学生時代は低学年のときに教室から脱走して支援学級(当時は特殊学級と呼ばれていました)に出入りしたり、たまに同級生を巻き込んで教室から逃げ出しては捕まったりを繰り返していました。
小学4年ぐらいからは脱走はなくなりましたが、少しの揉め事でキレて暴れたりすることが多くなりました。
また、忘れ物が目立ち、怒られることもしばしばありました。
鉛筆や消しゴム、教科書などの日常使うものを忘れることが頻繁にあり、体操服などの数日に1回使用するものに関してはまさに常習犯、といった感じでした。
(蛇足ですが、小学4年のときにDREAMS COME TRUEの「わすれものばんちょう」という楽曲を知り、まんま自分に当てはまるなーと思ったりもしていました。笑)
この当時、発達障害ADHDに関してはあまり問題になっておらず、「光とともに」などの漫画で「自閉症」が多少話題になっていた程度でした。
10代のころに発達障害ADHDの存在を知った
高校生ぐらいのときに、「発達障害ADHD」という単語が飛び交いはじめ、認知度は上がってきてはいましたが、その当時はまだ「ADHD=子供の障碍」という空気があり、私もご多分に漏れず「自分には関係ない」と高をくくっていました。
その当時はキレて暴れ散らす、なんてことはありませんでしたが、その代わりなのか、物に当たることが多くなりました。
私は元からPCや携帯などのガジェット類に興味があり、高校2年のときに周囲から遅れて携帯を持ち始めたのですが、記念すべき1台目の携帯は他校の生徒に絡まれたことに苛ついて地面に投げつけて破壊、更に高校3年のときに自前でノートPCを持っていましたが、些細なことでキレてPC本体を殴ることが多かったため、それを起因としたHDDの破損で3回交換しました。
注意欠陥の傾向は中学~高校のときも相変わらずで、宿題や日記帳(毎日提出するプチ日記のようなものがありました)を忘れたり、毎日使う筆記用具や教科書を忘れたりすることはしばしばありました。
中学・高校では多少の置き勉をしていました(本当は禁止されていた)が、それですら一部置き忘れたり、持ち帰ったものを再度持ってきていなかったりして、結局借りたりすることが頻繁にありました。
また、私は中学のときは卓球部、高校のときは吹奏楽部に所属(1年で退部)していましたが、部活に必要な道具や楽譜などを忘れまくり、練習ができないということが頻発。後輩からも信頼は置かれずの日々でした。
原因が特定できないまま始まった社会人生活
社会人になってからPCを本格的に自分で使える環境に身を置けるようになったため、元々古かったPCから当時流行していたネットブックを購入しましたが、動作の重さやトラブルに耐えきれずにぶん殴って破壊(HDDが交換できないためまるごとダメに)、次に買ったMacbookも破壊。
そんな紆余曲折を経て、そもそもの動作の遅さによるイライラや、万が一物にあたったときのリスク回避も含めて、自作でデスクトップPCを組むようになりました。
仕事におけるミスは数え切れず、更にイライラから職場の備品を破壊することもありました。
また寮の部屋も片付けられておらず、注意されること複数回。
最終的には売上(販売業だったため目標金額がありました)が取れない問題児として見られ、半ば強制される形で自己退職。
その後実家に帰りファミレスのバイトをしていましたが、度重なるミスで上司から問題視され、4ヶ月で辞めました。
2013年ごろから成人期発達障害ADHDの認知度が上がった
そんなこんなで悪い癖だと思い、某質問サイトに質問を投げたこともありますが、回答はゼロで頭を抱えておりました。
その時はメンタルの調子を崩すこともなかったため、精神科や心療内科のお世話になることがなく、具体的な原因を特定できずにいました。
その後2013年ごろ、「大人の発達障害ADHD」というものをCMやTV番組の特集、SNSなどで見かけることが多くなり、「もしかして・・・?」と思ってはいましたが、まだまだ他人事だと思っていました。
本格的に意識し始めたのは2014年。
Twitterのフォロワーに発達障害ADHD当事者やASD当事者が多くなり、多少相談してみたところ、「疑いがあるなら一度見てみたほうがいい」と言われました。
しかし、発達障害ADHDに適応される薬は高額で、精神科・心療内科の初診は金額が高いイメージがあったため、この時点では病院に行ったりすることはありませんでした。
2016年7月、発達障害の診断が下る
その後約2年を経て、ネット上の発達障害ADHDセルフチェックテストや当事者の意見を目にすることが多くなり、「この状況が改善されるなら・・・」と思い、通院治療をする決心をしました。
その時点では職場でのミスや問題行動はマシにはなっていましたが、相変わらずイージーミスが多く、問題児とまではいかないものの「ちとまずいな・・・」と自分で思っていました。
そして初の精神科での診療。
初診時の問診票とチェックシート、そして診察室に通されてからの問診を経て、発達障害ADHDの診断を受けました。
そ
の時の主治医から薬の説明がありましたが、前評判通り薬価が高く、3割負担でも高額な請求となるので継続的に診療できるか心配でしたが、「自立支援医療制度」をその病院で知り、負担は意外にも軽く済んで安心しました。
発達障害だと気が付いたタイミングについてのまとめ
「もしかして・・・?」と思いながらも治療を躊躇っている方々は沢山いらっしゃると思います。
「本当に治療すべきか否か」という選択、精神科・心療内科へ行くことの精神的なハードル、費用の事など、心配になる事項は沢山あります。
しかし、病院に行くことが最善かといえば、そうでない場合もあります。
まず「よく調べ、考えること」、そして治療を開始した際には決して「焦らない」こと、この2点が重要です。
障碍の特性は人それぞれ違いますし、薬はどの分量で作用・副作用が出やすいのかもわかりません。
決して焦りすぎないようにしてください。
参考として、私の場合は初診時の費用として6000円(処方薬含む)程度でした。
私はこれで不安がなくなりました。
子供が「発達障害」と診断を受けた時、
目の前が真っ暗になりました。障がいを持っていることのショックは
当然ですが、それと同じくらいに強く・この子の将来は・・・
・成人して一人で生きていけるのか?
・普通の子より、お金が必要なのか?こんな思いに苦しみました。
そして決断しました!
「この子には、不自由をさせない。」
「私、ひとりでも育ててみせる。」専業主婦だった私には、時間が十分に
あったので、家事の合間に内職する!
と、決めネットで検索しました。超の付くほどのパソコン初心者でしたが、
撮りためていた動画をyoutubeにアップ
してみたところ、お金になったのです!!今では夫の給与と毎月競えるようになり
生活が本当に楽になりました。ラッキー!出掛けることがないコミュニティーですが、
SNSでつながっているので、お友達ができて
毎日楽しく過ごしてます。私のような保護者の方もいるし、当事者の
方もいて、障がいのことについても相談が
できるので、本当にこのコミュニティーに
入って良かったと思ってます。今は、不安はありません。
保護者の方も、当事者の方も、ぜひこの
コミュニティーに参加することをおすすめします。
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